馬車に乗り込んですぐに、モニークの頭が揺れ始めた。
ぐらりと揺れては、立て直す。
それを繰り返していた。
なんとか起きようとしているようだが、もはや目はほとんど開いていない。

未婚の女性が、家族以外の男性と二人きりの状況で眠るものなのか。
本人が起きようと必死に努力しているだけに申し訳ないが、思わず笑いがもれそうになる。
ばれないように口を手で覆いながら、彼女を観察した。

マナーにうるさいラタ夫人が見たら「なんとはしたない!」と眉を吊り上げそうだ。
しかし、それだけ疲れているのだから、マナーなど気にせず、いっそ眠ってしまえばいいのにと思う。

モニークの態度からどこかよそよそしさが消えないのは、このマナーのせいなのではないかと思う。
距離が近付いたと思っても、ある一線だけはきちんと線引きされているように感じる。
そうなるとマナーは邪魔な存在になる。
慎み深さもいいが、もっといろんな表情が見たい。

これだけ個人的な付き合いなのだから、マナーを崩してもなにも問題ない。
こうして眠ってしまうのも、彼女がそれだけ俺に心を許していると思えば、優しい気持ちにもなる。

俺のことは気にせず、眠ってしまえ。
心の中で囁くと、モニークの頭がカクンと落ちた。

俺は口から手を外して、モニークがそのまま深い眠りに入っていくのを待った。

深く頭を下げているので顔は見えないが、すうすうと寝息が聞こえてきた。
この分なら、ちょっとしたことでは起きないだろう。

モニークは首ががくりと前に倒れた辛そうな体勢で眠っている。
首が寝違えてしまいそうだ。

そう思って、俺はモニークの隣に移動して、起こさないように気を付けながら、その頭を自分の肩に寄りかからせた。
モニークの身体はくにゃりと脱力していて、素直に俺の腕に従った。

ふう、と息をつくと、彼女がピク、と動いた。
起きるかと身体を固くしたが、彼女は突然俺の肩にこめかみをすりすりと擦り付け始めた。
ちょうどいい位置を探すように、何度か頭の位置を変え、何度目かで動きを止めてこれでよしと言わんばかりに「くふん」と喉を鳴らして、再び寝始めた。

まるで猫みたいだ。
思わず口元が緩む。



ガラガラガラガラ。



モニークの心地よい重みを肩に感じながら、窓の外に広がる平原を見る。
柔らかい日の光と、カラッとした涼しい風。
たまに、彼女の顔にかかった髪を払ってやる。

穏やかだ。
モニークと二人、ここだけ世界から切り離されているような、そんな錯覚を覚える。
いつまでもこの時間が続けばいいのに。

現実の世界は、余裕はなく次から次へと課題が浮かび上がってくる。
一つが終わらないうちにまた一つ課題が生まれ、一つ一つの結果を見るまで待ってはいられない。

世界が広がれば広がるほど、人と関われば関わるほど、持ち込まれる相談は増えていく。
だが、俺はそれが嫌いではない。
人との関わりが増え、だんだんできることが増えていくのが楽しかったからだ。

遊びの延長のようなものだった。
一年前にはできなかったことが、できるようになっている自分。
ままならない問題すら、挑戦意欲を刺激されて楽しかった。

いつしか夢中になって世界のダイナミックな変化を追いかけていた。
男同士でなにかを成し遂げることに、どっぷりとハマっていたというわけだ。

おばに言われるまで、結婚のことなど考えていなかった。
正確には頭の片隅にはあったが、それよりもしたいことがたくさんありすぎて、後回しにしていた。

俺は根本的に、恋愛や結婚に向いていないんじゃないかと思う。

いま考えているマリーは、確かに世間で言われているように「当たり」だ。
もし花嫁として最もふさわしいのは誰か、と質問されれば、迷わずマリーと答えるだろう。

だがそれは一般的なものさしで測った結果に過ぎない。
家柄も容姿も素晴らしく、マナーもたしなみも備えている。
そして社交性もある。
今すぐ花嫁を用意しなければならないのなら、マリーが適している、というだけだ。

それも、モニークのことがあってからは、頭の端に追いやられている。
花嫁選びのことは二の次三の次で、頭の中はモニークのことでいっぱいになっている。
こんなことで本当に花嫁選びが完了するのか、おばの顔を思い出すと憂鬱になる。

まあ、いい。

モニークが抱えている問題を解決するのに時間はかからない。
それが終われば、おばの希望通り、花嫁を迎えて領地のことに腰を据えて取り組むさ。

なにも考えず、こんなふうにぼうっとしていられる時間は貴重だ。
いまはそれを堪能しよう。
頭をからっぽにして、腕に触れる体温や自然の匂いをただ感じる。

大きく息をつき、背もたれに身体を預けた。
心が安らぐ。
こんなふうに自然体いられるのは、いつ以来だろうか。

今でこそ伯爵家の跡取りの立場にやりがいを感じているが、最初からそうだった訳ではない。

俺が伯爵家の跡取りとなった理由は、伯爵であるおじが、その息子を喪ったからだった。
先の内戦に参加して、いとこは亡くなった。

いとこの訃報が届いてから、周囲がにわかに騒がしくなった。
伯爵はやり手の人物として知られていて、その莫大な財産を継ぐべき人物がいなくなったのだ。
後継者として新たに指名されるのが誰なのか、世間の注目の的だった。

当時寄宿学校のいた俺は、その噂を耳にするたびに不快な気持ちがこみ上げた。
葬儀で泣き崩れるおばを目の当たりにしていたからだ。
一人の人間の死など、関係のない人から見たらこの程度のことなのか、と鳥肌がたった。

幼い頃、よく遊んでくれた年長のいとこ。
こんなに早く亡くなっていい人ではなかったのに。

15歳のとき、寄宿学校から突然呼び出されたかと思ったら、伯爵である父の兄と面会させられた。
それが頻繁にあり、なにがどうなったのか分からないが、最終的に俺と伯爵の養子縁組が成立した。
そして俺は、伯爵家の跡取りにして、莫大な財産の相続人になったわけだ。

ろくに話したこともない同級生や上級生から、やっかみ半分に「うまくやったな」と嫌味を言われたりした。
そんなことは、簡単に聞き流すことができた。
仲のいい奴らが、常に俺の味方でいてくれたからだ。

本当につらかったのは、自分の価値観やこれまで自分の基礎になっていたものを一度粉々に壊さざるを得なかったこと。

『お前の父親は、人に使役される側の人間だ。だがわたしの跡を継ぐからには、お前は人を使う側に立つことになる。お前のいとこは、このことを理解しなかった。わたしに反発して、あてつけのように戦場へ行った。お前はそうはならないように。』
養子になってすぐ、おじに言われたのはごう慢な言葉だった。

『どういう教育を受けて来たかは知らないが、いったんすべて捨てなさい。』

当然、反発した。
いとこは正義感が強く、立派な人だった。
役人をしている父も同じだ。
信念を持って仕事をし、多くの人から尊敬されている。
こんなふうに馬鹿にされるいわれはない。

悔しかった。

 

 

 

 

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 最終更新日 2016/01/31

 最終更新日 2016/12/25