モニークの視線が俺の肩越しに背後に流れて、なにかに驚いたように目を見開いた。
慌てて立ち上がろうとするので、少し上体を起こしてそれを避けた。
「もうこんな時間!帰らなくちゃ。」
その言葉にモニークが見ている方を見れば、茜色に染まり始めた空がある。

こんな時間まで屋敷に残っている時点で泊まっていくことは確定しているというのに、帰るなどと言い出すとは。
いまは陽が落ちるのが早い。
少し暗くなったと思ったら、すぐに真っ暗になってしまう。
足元の見えない夜道を行くことがどれほど危険か知らないのか。
思わず険しい顔になった。

「帰る?」
問い返すと、モニークは戸惑ったように「え?」とこちらを見た。
「もちろん泊まっていくんだろう?」
思わず押し付けるような口調になってしまった。
しかし、モニークがぶんぶんと首を横に振る。
「いいえ、まさか。わたしは最初から帰るって言ってたじゃない。」
最初は帰ると言っていたかもしれないが、それは早い時間だったら、の話だ。
「だが、もうこんな時間だ。今から帰れば途中で陽が落ちて暗くなる。危険だ。」

「そんなこと言ったって。他にどうするのよ。」
「だから、うちに泊まればいい。すでに部屋も夕食も用意している。」
釈然としない表情のモニーク。
彼女が首を縦に振るのを、内心じりじりしながら待った。
自分でもなぜこんなにむきになっているのか分からないが、とにかく頑なに断ろうとするのが気に入らない。

なにかうちの屋敷に不備や不満があっただろうかと考えてみるが、これといって思いつかない。
それに、彼女は兄に姉の家での待遇は良くないと言っていた。
そんなところに急いで帰りたい理由もないはずだ。
こちらは、彼女が快適に過ごしてもらう用意はできている。
絶対に泊まっていったほうがいいのに、なにを迷うことがあるのだ。

それとも、泊まることでなにか不都合なことでもあるのだろうか。
あす、どうしても断れない約束があるとか。
ないとは思うが、まさか男と。

彼女の表情のどんな変化も見逃さないようにじっと見つめるが、モニークは視線をあちこちにさまよわせている。

「そんな‥‥駄目だわ。そんなつもりじゃなかったのに。」
そんなつもりだろうがどんなつもりだろうが関係ない。
そんな言い訳では、とうてい帰る理由にはならない。
モニークはここへ泊まっていく。
その一択だ。

押し問答の様相を呈してきたところで妹が「わたしが引き留めたせいね。ごめんなさい。」と悲しそうな顔をした。
モニークがたじろぐ。
「そ、そんなことないわ。」
と必死に慰めようとしていた。

よくやった、妹よ。
内心ほくそ笑む。

しかしモニークはやはりモニークだった。
「やっぱり帰るわ。大丈夫よ、ここからクレドルーまでの道は幅が広くてよく舗装された道ばかりだから、多少暗くても走れます。」
迷いを捨てたように宣言するのに対し、俺もキッパリと返した。
「駄目だ。承知しない。」

モニークがあごを上げて俺を睨んだ。
「わたしの行動について、わたしが一番いいと思って、わたしが決めたんです。それに対して、あなたの許可が必要だと?」

カチッと視線が合う。
湧き上がる衝動に、頭よりも先に心臓がドクンと反応した。

もちろん、そうだ。
なぜならモニークは、俺の‥‥。

頭の中で言葉が形作られる直前で「まあまあ!」と高い声が絡み合った視線を解いた。
「あなたがモニークさんね。」
はしゃいだ声を出す母。
母が付いてきていたことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。
そういえば、あいさつをしたいと言っていたのだった。

モニークが問うような視線を送ってきたので「母だ。」と答えると、モニークは目をまん丸にして、パタパタと母のほうへ駆け寄った。
「ご挨拶もせずにお邪魔してしまって申し訳ありません。」
と礼をしたモニークに、
「いいのよ、そんなこと気にしないで。」
と母が笑顔で返す。

顔だけ合わせたらすぐに立ち去って欲しいのに、母はこっぱずかしいことを言い出す。
「女の子にはやさしくしなさいって、いつも言ってるんだけどね。」だとか、いったい俺をいくつだと思っているんだ。
やめてくれ。

最後は母も泊まることをすすめてくれて、やっとモニークは首を縦に振った。

どちらかの部屋で夕食をとるのが一番くつろげるのだろうが、未婚の男女には不適切なので別の部屋を用意した。
こじんまりとした部屋で、普段は食事には使わないのだが、テーブルと椅子があるのでちょうどいい。
それらしくセッティングさせたら、なかなかいい雰囲気が出た。

その席で、モニークはちらりと俺の顔をうかがっていた。
なんだろう、と内心首をかしげて、もしかして妹が話していた養子の件かと思い至った。
話を向けてみると、やはりそれだったようだ。
ピクリと肩を震わせた。

妹は、俺に幸せになってほしいと言っていた。
その言葉を、モニークはどのように受け取ったのだろう。

「伯爵位を継ぐために養子になった。おじの一人息子が、先の内戦で戦死したんだ。後継者がいなくなって、俺に白羽の矢が立った。」

かわいそうだと思ったか、それとも幸運だと思ったか。
どちらの視線も向けられ慣れている。
遠巻きにする者はそれらの目を。
利害関係者は新たな後継者を品定めするような目を。

「亡くなったかたは、お気の毒だったわね‥‥。」
モニークが深い声で静かに言った。
その言葉は、これまで何度も耳にしてきた。
なのに、まるで初めて聞いたかのように思えた。
それほど、心にダイレクトに届いた。
新しい環境に戸惑っていた若い自分が、その言葉で癒されていく。
瞼を閉じてしばし言葉の余韻に浸った。

「養子になって苦労したんじゃない?」
モ二ークの質問は、おもしろがるでもなく、憐れむでもなく、不思議な響きを秘めていた。
もちろん苦労をしなかった訳ではない。
しかしその苦労を表に出しても仕方がない。
友人たちにその質問をされたときは、冗談めかして「大変さ。」と答えていた。
モ二ークの対して、そうすることもできた。
いつものように。
でも、そうはしなかった。

「最初は、反発した。おじと反りが合わなかったんだ。でも、おじを知るようになってからは、彼に近付きたいと思うようになった。彼のようになりたかったんだ。今は、もう一人の父親みたいに思ってるよ。」
気が付いたら、素直に心のうちを話していた。
「いまは、養子になってよかったと思ってるよ。でも、家族への態度は確かに変わってしまったのかもしれない。実の父よりも、おじの意見を重視するようになったから。それに、俺はもう父に守られる立場ではなく、父を、家族を守る立場だ。立場が変われば意見も変わる。」

本当は、家族の形が変わってしまうことはつらかった。
大切な人と話が合わなくなってしまうことは悲しいことだ。
仕方のないことなので口に出すことはしなかったが、心の中に複雑なものが存在していたことはたしかだ。
俺を形作っているもの――父や母――を客観的に見つめなおすことは、自分を新しく見つめなおし、形作ることであり、それは周囲が俺の見る目を変えることと同じくらい、苦しいことだった。

だがこれは、誰もが通る道。
誰もいつかは親のもとから巣立つ。
ただ俺は、そのきっかけが養子になったことだったというだけだ。
だから家族が負い目に感じる必要なんてないんだ。
申し訳なさそうな顔をするよりも、安心して俺に寄りかかり、幸せそうにしていてくれたほうがよほどうれしい。

そう思えるようになった自分が、うれしい。

 

 

 

 

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 最終更新日 2016/01/31

 最終更新日 2016/12/25