「きゃっ!」
ぐっと足をすくわれて、自分の身体がぐらついた。つま先が浮いてとっさに目の前の肩にすがると、その肩はびっくりするくらいたくましかった。
薄いシャツの布越しに、隆起した硬い筋肉を感じる。

「ほら。」と得意げなダヴィド様。
屈託のない声だったが、わたしは心臓がバクバクと高鳴り、それどころではない。
この体勢は、まさかのお姫さまだっこ。

「え、えっ?ちょっと!」

お姫さまだっこ!!
わたしは軽くパニックに陥っていた。

「やっ、重いからっ。」
どこに体重をかけていいかもわからずに固まってしまう。
「ぜんぜん?軽い軽い。」

重いに決まってる。
でもすごい。
ダヴィド様は決して軽くないはずのわたしをその腕で持ち上げてるのに、まったく力をかけているように見えない。
余裕そうに見える。

「分かったか?」
「わかった、わかったからっ。」

ダヴィド様は「ははっ」と笑って、そっとわたしの足を床につけてくれた。

頬が熱い。

ダヴィド様が笑顔でじっとわたしを見下ろしていることを額に感じるけど、わたしは顔を上げることができなかった。

ぴったりくっついていた身体に隙間ができて、二人の間をするりと風が通った。

早く、なんとかしなければ。
なにを?
なんだっけ、と混乱しながら口を開いた。

「わ、わたし!ダヴィド様に聞きたいことがあったのよ!?」
とっさに口をついて出た言葉は、まったく関係のないものだった。

「ん?」
笑顔で質問を催促される。
ダヴィド様の片手がまだわたしの腰に置かれている。
体温の高い大きな手から、じわじわと熱が伝わってくる。
薄い夜着など、わたしを守ってくれない。

そうだ、夜着!
わたしは、男性の前で、夜着で。

急に心許なくなり、そわそわする。
うまく頭の中がまとまらない。


後から考えれば、無意識のうちにこの雰囲気にブレーキをかけていたのかもしれない。
だって、今は夜で、すぐ背後は寝室で、わたしは夜着で、腰にはダヴィド様の手がのっていて。
その上、ダヴィド様はわたしだけを見ている。

未知の領域に足を踏み入れかけているような感覚。
うぬぼれでなければ、文面や人の話で聞くばかりだった男女の甘い世界とは、いままさにわたしの身に起こっていることなんじゃないか。

ここを突破する度胸も自信も、このときのわたしにはなかった。
だから、もうとにかく必死で言葉をつむいだ。


「聞こう聞こうと思っていることがあるのに、一緒にいるといつも忘れてしまうわ。」

するとダヴィド様はにこにこしながら、
「俺も同じだ。モニークに話そうと思ってることがあるのに、つい。」
と言うので顔を上げた。

「え、なに?」
「え?」
「話そうと思ってることって?」
「ああ、モニークは?」
「ダヴィド様が先に話して。」

「お先にどうぞ?レディーファーストだ。」
ずるいわ、と唇を尖らせた。
「ダヴィド様の話すことが気になって、わたしの聞きたいことが頭から飛んじゃったじゃない。」

すると、ダヴィド様は楽しそうだった口調から少しトーンを落とした。
「モニークの兄さんのことだ。気になってるんじゃないかと思って。」

カチッと雰囲気が切り変わった。
さっきまで頭の中がかすみがかっていたのが霧散して、クリアになった。

「ああ、それよ!わたしが聞こうと思ってたこと。思い出したわ。」

わたしは一歩下がって、ダヴィド様を睨んだ。
ダヴィド様の手が腰から離れた。

「あなた、行く前になんて言ったか覚えてる?兄に話が聞きたいから、ってそう言ったのよ。それなのに、パルクスと話をするように言ったり、グザヴィエ様を巻き込んだり!最初からそのつもりだったの?」

この質問を、ダヴィド様は想定していたようだ。
わたしが怒りながら言ったことに対して、彼はわたしの目をじっと見つめ返しながら弁解した。

「違うさ。最初は、本当に会って話を聞くだけのつもりだった。でも彼の上官の名前を聞いて、グザヴィエに話を通しておいたほうがいいと思ったんだ。あいつはあんなだけど、頼りがいのある奴だし、面倒見もいい。困っている奴がいれば積極的に関わっていくから、俺たちが動いていることを言っておかなければ面倒なことになる。」

ここでダヴィド様の言う「俺たち」は、ダヴィド様とわたしのことではなく、ダヴィド様とセザール様のことだろうと分かった。
セザール様の名前を出されると、わたしはなにも言うことができなくなってしまう。

上位の貴族たちが意図を持って動いていることに口出しだできるほど、わたしもわたしの家も重要な立場にいない。
情勢も知らず、権力争いにも縁がない。
わたしたち家族にできることと言えば、邪魔にならないように身を小さくしていることくらいしかないのだ。

そうなると、わたしが訴えることができるのは、政権に関係のないような事柄。
つまりあくまで家族のことのみ。

これからなにをするつもりでどう動いているのか聞いておきたい気持ちもあるけれど、聞いたところで理解はできないし、余計不安になるだけなんだろうと思うと、質問しづらい。

「でも、あなたはすでに兄の事情を知っていたわ。それに兄が脅されていたって言っていたけど、どういうことなの?ダヴィド様は、わたしが知らないことまで知っていたのに、わたしには黙っていたわ。」

そうだ、このことを聞いておきたいと思っていたのだ。
なぜダヴィド様は、あらかじめ兄になにが起こったのか、彼が知っていることをわたしに話してくれなかったのだろう。
最初から兄にその話をしに行くと聞いていたとしても、わたしは同行を拒まなかったと思う。
それだけではなく、もしダヴィド様に意図があるのなら、協力してもいいと思っている。

「黙っていたことはすまない。兄妹とはいえ、いや、兄妹だからこそ、知られたくないことはあるだろう。俺が勝手に話してしまってはいけないと思ったから、できれば彼が直接話してくれればと思っていたんだ。それが理由。」

ダヴィド様がわたしに話さなかったのは、兄の立場を思ってのことだったのだ。
立場といえば、気になることがある。

「でも、グザヴィエ様に話してしまって、本当に大丈夫なのかしら。」

口にする気のなかった言葉がこぼれた。

ダヴィド様は、
「大丈夫って、なにが?なにか心配なことがあるのか?」
と首を傾げる。

ここまでされてもまだ兄のために心配してあげるなんて、自分でも納得いかない部分があるのだ。
だからこそダヴィド様に言いたくないと思っていたのに、わたしが答えるのをダヴィド様は待っているので、仕方なく説明した。

「別に、兄がどうなろうといいんだけど‥‥グザヴィエ様に知られたことで、出世で不利になったり、軍に居づらくなったりしないのかしらって、少し、気になっただけよ。」

「お兄さんをかばうのか?」
驚いた目で見られて、わたしは口をへの字に曲げた。

自分の気持ちが定まらなくて、ぐらぐら揺れている。
ダヴィド様を頼りたい気持ちと遠ざけたい気持ち、信じる気持ちと信用できない気持ち‥‥。

いいえ違う。
そんなに単純な気持ちではない。

わたしとダヴィド様が同じ岸にいて、川を挟んで対岸に兄とパルクスがいるかのように感じるかと思えば、逆に兄とわたしが同じで岸で弱者同士身を寄せ合い、その対岸に強者であるダヴィド様やセザール様、パルクスがいるかのように感じることもある。

兄が家族から逃げ回っていたことはひどいことだけど、だまされたことに関しては、だまされたほうが悪い、とは言い切れないと、兄を擁護する心の声が聞こえる。

誤って大海原に漕ぎ出した小さな舟が、頼りなく荒波にもまれる以外になすすべがないように、弱者である兄にはどうすることもできなかったのではないか。

有力貴族である彼らが、勢力争いのために力の弱い貴族を巻き込んでいると‥‥弱者は強者にふりまわされるしかないのかという、いきどおりが湧き上がる。

かと思えば、一瞬後にはくるっと天地が逆転し、自分を見捨てた兄を逆に見捨ててしまいたいと思うのだ。

二転三転する感情を言葉にできずに黙り込んだ。

「‥‥。」

「悪いと言っている訳じゃない。でも‥‥分からないな。今回のことはそのお兄さんが原因なのに、憎くないの?」

「そりゃあ、憎いし、許せないわ。わたしたちの苦労を思い知って、傷つけばいいと思うもの。」

実際、そうしようとして兄を責めたばかりだ。

「じゃあどうして?」

復讐を促されているようで、思わず擁護の言葉を探した。

「でも‥‥分からないわ。それでも家族だからじゃないかしら。だから、迷うのよ。兄がこの先ずっと不幸でいてほしいとは思わないし‥‥ねぇ、でも家族ってそういうものじゃないかしら?」

「そういうもの?」

一般論に逃げたわたしの言葉を、ダヴィド様は正確に拾った。

つまり、そう。
結論を出すことが怖いのだ。

自分の結論によって生まれる結果を受け止められる自信がない。
それが自分だけに関することならともかく、他人の人生に影響することなら特に。

「そうだわ。それに‥‥そう。もしも、もしもよ?今回のことを苦にして、兄が、人生を悲観して高いところから飛び降りたり、なんか、変なことをしようとしらと思うと‥‥取り返しのつかないことになってしまうわ。」

思いついた言い訳をどんどん口にしていく。

「そうよ。父も母も、悲しむし。それに、ヤケになって悪い道に進むことだって、あると思うのよ。今のわたしは兄を許せないと思っているけど、未来のわたしがどう思うかは分からないわ。時間が経てば‥‥自分の状況がよくなったら、こんなことくらい、大したことじゃないと思えるかもしれない。今現在の感情だけど、未来に関係することを決めてしまうのは‥‥怖いわ。」

ふう、とため息をつく。
「いやだわ。ねぇ、これ以上言わせないで。分からないわ。どうしたらいいのか、分からないのよ。」

だったら、とダヴィド様が口を開いた。

「俺に頼ればいい。必ず、一番いい結果を導き出してみせるから。」

ダヴィド様が、真摯な瞳が心に突き刺さる。

「パルクスは罰する。そしてクレドルーを取り戻し、モニークの両親が再び住めるようにする。クレドルーの周辺から不法者を一掃し、周辺に暮らす人々の生活を安定させる。お兄さんには、トラブルを解決させる。それで万事うまくいく。」


「大丈夫だよ、モニーク。すべて自分だけで解決しようとしないで、自分だけで結論をださないで。大丈夫。大丈夫だから。」

大丈夫、という言葉はまるで呪文のように、わたしの緊張をほどいていった。

 

 

 

 

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 最終更新日 2016/01/31

 最終更新日 2016/12/25