クレドルーの平原を進みながら、モニークの家を目指した。
場所は頭に入っているとはいえ、実際に行くのは初めてだから、迷わないように注意しなければ。

日傘を置いて休憩している女性を通り過ぎた。
牧歌的な風景に心がなごむ。
風がさわやかで、彼女のように寝転んだらさぞ気持ちがいいだろう。

なんとなく思いついて、馬を引き返して女性に向かって声を張り上げた。

「失礼!お休みのところをすまないが、道を尋ねたい!クレドルーの‥‥。」

最初は聞こえてないかと思ったが、女性はゆっくりと、日傘を横にずらした。俯いた顔が現れる。
モニーク?

「こんなところで何してるんだ?」

なぜ彼女が、こんなところに。
素通りしてしまわなくてよかった。あやうくすれ違うところだったと思うと、乾いた笑い声が出た。

ただなんとなく、声をかけただけだったのに、まさかそれが目的の彼女だったとは。
なんだか、天の導きのようだ。

馬をおりて手綱を近くの木に結んだ。
こいつは頭が良くて、放っておいてもよっぽど遠くまで行かないのだが、念のため。

モニークの方向へ、草地を進む。

周囲に人影は見えない。一人だろうか。不用心だな。

「誰かと一緒?」

「いえ、一人です。あの‥‥天気が良かったので‥‥。」

「そう。」

その時、草原に風が吹き、頬に触れていった。
確かに陽気に誘われる。


隣に腰を下ろすと、モニークは体操座りの姿勢になった。
穏やかな風。
なんだか言葉も忘れて、二人で並んでいた。
会ったらまずはなにを言おう、と散々考えていたのに、すべて風に霧散していった。
言葉の必要ない、特別な空間にいる。

「ぁのっ!」と唐突に呼び掛けられ、俺は彼女に顔を向けた。
「お花、ありがとうございます。」
そう言いながら、彼女はまっすぐに前を見ていて、こちらを見ようとしない。
なぜこちらを見ないのだろうか。

「別に。」と返すと、彼女はすくっと立ち上がり、俺に向かって深く頭を下げた。

「この前は、申し訳ありません!」

後頭部を見ながら、不快な気持ちが湧き上がってきた。

「はぁ?」

先ほどまで共有していたはずの心地よい空間が台無しだ。
それに、俺たちの間に、謝罪などという無粋な行動は必要だろうか?
せっかく、さっきまで分かり合えていた気がしていたのに、なぜそれを壊そうとするのだろう。

「なぜ謝る?」

彼女はちらりと俺の顔を覗き見て、ぱっと上体を起こした。
その卑屈な様子にますます眉間のしわが深くなる。

彼女が謝ったのは「なんか、いろいろ言ってしまい」という理由だった。
彼女はなにを「いろいろ言って」のだろう。
思い出せない。
俺がしつこく詫びると言ったのを、固辞していたくらいじゃなかったか?

「じゃあなんだ?やっぱり詫びを寄越せってことか?」

「え?ち、違いますよ!どうしてそういう話になるんですか!?」

意味が分からない。
改めて理由を聞いても、彼女は「それは‥‥」言い淀む。
なんだ、やっぱり理由なんてないんじゃないか。
「分かってないのに謝るんじゃない。」

「は、はい。」と言ったまま、気まずそうに立ち尽くす彼女。
俺たちを包んでいると感じた風は、いまやヒューヒューとすきま風のように俺たちの吹き渡っている。

間が持たなくて視線をさまよわせると、彼女の足元に籠を見つけた。
「これ、なに?」と草の上に置いてあった籠をひょいと持ち上げた。

ただの話題作りのためが、彼女が慌てるので、興味をそそられた。
膝をついて腕を伸ばすのを、身体をひねって避ける。
中身はなんだろう。
けっこうな重さがあるな。

彼女が取り返そうと必死になればなるほど、絶対に中身を見てやろうという気になった。
籠の取っ手部分を引っ張られたが、俺は頑として籠を持つ手を離さなかった。
女の力など、かわいいものだ。
逆に、この程度で一生懸命になっているなんて、と胸にグッと来る。

そんなことよりも、目下の問題は、彼女の身体が俺の上に乗っかっていることだ。
胸が‥‥彼女の胸が俺の腹に当たっている。
その状態でじたばた動くものだから、いろいろと困る。

「あっ!」

力に耐えきれなくなった籠が壊れ、もみ合いのなかでコルクの外れた瓶と焼き菓子が宙を舞った。

べちゃっ!

とぷとぷとぷとぷ‥‥。


俺はとっさに彼女をかばったが、それでも彼女のドレスはべっとりと汚れてしまった。
俺のほうも瓶の中の液体がこぼれた。
白のブラウスなので、汚れが目立つ。
焼き菓子にはジャムが入っていたのか、ベトベトする。
液体のほうはみずみずしい香りがするので、果実水だろう。

「だからやめてって言ったのに!」

「菓子だって言えばいいだろ!隠すから見たくなるんだ!」

「勝手に見ようとするから!もうっ!ベトベトのぐちょぐちょだわ!」

彼女の白い頬や首すじに水滴がついていて、それが太陽の光を弾いてチカチカする。
俺を睨みつける瞳もギラギラとして、目を奪われた。

なにも言わない俺に、彼女が一瞬、怪訝そうな顔をした。
俺は慌てて言葉を紡いだ。

「む、無理に引っ張るからそうなるんだ。」

モニークは眉を吊り上げ、焼き菓子で汚れた手を俺のほうに伸ばしたが、俺はぼうっとしていて反応が遅れてしまい、頬にべっとりと擦り付けられて初めて彼女の意図を理解した。

「おいっ、なにをする!」

避けようとしたが、手が追ってきた。
きゃっきゃと、モニークから、甲高い、喉から漏れる笑い声が聞こえる。
俺も楽しくなって、さぁやり返してやろうと遊び心に火がついた。

攻めの一方だった白く細い手を掴んで地面に押し付け制圧すると、その反対の手を使って、見せ付けるようにゆっくりと頬に指をひいて、べっとりとケーキを付けた。
そのことに気を良くして、自分たちがどんな体制か、頭になかった。

白い滑らかな肌の上で無残な姿になったケーキに視線が吸い寄せられた。
どんな味がするんだろう。
そう思ったら、すでに身体が動いていた。
ペロ、と頬についたケーキを舐めとる。

言い訳になるが、そのときは、本当にそれしか考えてなかった。

「うまいな。」

そう笑いかけようとして、彼女が息を詰めていることに気が付いた。
どうしたんだろう。
唐突に、彼女の身体から放出される体温や香りがぶわっと俺の意識を覆った。
モニークの柔らかい胸が呼吸のたびに上下するのが、直接感じられる。
俺は、なんて格好を‥‥。

ぎこちなく身体を起こして、彼女も続いて立ち上がった。
お互いに無言だった。

口を開いたのは俺だ。

「家まで送る。」

「あ、はい。」

気の抜けた、白けた空気が漂う。
心の中が、ぽっかりと空いているようだ。
彼女の顔をまっすぐに見ることができなかった。
家の近くまで行ったところで「ここで降ります。」と言われるままにモニークを降ろし、気の利いたあいさつも出来ないまま来た道を引き返した。


意気揚々と出て行った俺が、汚れた姿で戻ってきたのを見ても、執事はぴくりとも眉を動かさなかった。
俺は言えば、ほうけていて、執事にハンカチを差し出されて初めて自分の顔が汚れていることを思い出した始末だった。

 

 

 

 

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 最終更新日 2016/01/31

 最終更新日 2016/12/25