いつも通りの朝。

奥様の寝室に入ろうとして、人影に気付いた。
とっさに扉の陰に身を隠した。

だんな様だ。
差し込む朝陽を背中に受けながら、透ける薄い衣を口元にあてて、瞳を伏せていた。
まるで絵画のように美しい光景。

だんな様が手にしていたもの。
あれは、奥様が昨夜まとっていた夜着ではなかったか。
バクバクと胸が鳴った。

だんな様がいなくなったのを見計らって室内に入った。
薄衣をそっと手に取ると、ふわりと香るものがあった。
「バラの香り‥‥。」


仕事も合間。
裏の階段に、使用人の友だちと隣に並んでぼんやりと座っていた。

わたしは唐突に声を張り上げた。
「うちのおじさんがさー。」
友だちは膝に置いた両腕に顔を伏せている。
わたしは独り言のようにポツリポツリと続けた。
「わたしが小さい頃は、すっごく羽振りが良かったの。それがね、わたしがこのお屋敷に来るちよっと前に、金を貸してくれって来て。なんかね、事業で失敗して、親戚中を金の無心に回ってたんだって。もうガリガリで。」
友だちは無言だったが、話を聞いているのが分かった。
「お父さんはね、追い返したの。俺が苦しい時に手を貸してくれなかったくせに、って。おじさんね、その後すぐに死んじゃった。道端で、病気で。」
それでね、とわたしは話を続ける。
「今度はうちのお父さんが事業に失敗したの。」

友だちは顔を上げ、ゆっくりとこちらを向いた。
わたしは友だちへ顔を向けた。

「縁談、決まったよ。」

「そう‥‥。」

「どんな人か知りたい?ガマガエルみたいなおじさん。若い後妻が欲しいんだって。この前家に帰った時に、本人に品定めされたの。合格だって。」

「そう‥‥。」

「相手の準備が整い次第、このお屋敷から出て行くの。お父さんは大喜び。これで食うに困らないって。‥‥わたしって、親不孝かな。ぜんぜん嬉しくない。」

「わたしだって‥‥。誰だって似たようなものじゃん。」

それきり、無言の時間が流れた。

わたしはまた前を向いて、声を張り上げる。
「初めてはさー。」

そっと呟く。
「だんな様みたいな人がいいな。」
「‥‥。」
「ううん、みたいなじゃない。だんな様がいい。」



バラ石けんのおつかいを頼まれた。
いいな。
バラ石けん。
奥様って、ケチだ。
あんなにお金を持っているんだから、おつかいの駄賃をもっとくれればいいのに。

わたしも、ガマガエルと結婚したら、買ってもらえるかな。
ううん、それじゃあ意味がない。
だって、それを使ったわたしを、だんな様は見ないんだもの。
だんな様に、キレイになったわたしを見て欲しいのに。


うん、奥様くらいお金を持っていたら、これくらい平気だよね。
わたしはこっそりバラ石けんを買って、だんな様の書斎へお茶をお運びする日に使った。

そばに行った時に、ふとだんな様が顔を上げた。
「これは‥‥。いい匂いだね。」

だんな様が気付いてくださった!
それだけで天にも昇る気持ちになって、エプロンをギュッと握りしめた。

もっと、褒められたい。

奥様のキレイな肌。
この化粧水‥‥。
これを使えば、わたしもあんなふうになれるのかな。

奥様のツヤツヤの髪。
このクシを使えば‥‥。

クシで髪をとかしながら、涙が流れた。

いくら奥様の物を使っても、わたしは奥様にはなれない。

もしもわたしが、奥様だったら。
奥様みたいな家に、生まれてたら。

奥様に呼び出されて、勝手に物を使っていたことを怒られた。
出て行け、と言われた。

奥様はずるい。
すべて持っているのに、独り占めしようとする。

奥様のシーツは、誰が洗ってると思うの?
冬は寒くて指が切れそうなのに。

食事だって、誰が用意してると思うの?
卵をとるためにニワトリのフンの中に手を突っ込むんだよ。

当たり前みたいに、キレイな顔して、だんな様の隣に並んで。

勝手にものを使ったくらいで怒って。

これだけ働いてるんだから、少しくらい分けてくれたっていいじゃない。
奥様は、たくさん持ってるんだから。

わたしには、今しかないの。
だんな様の目に映ることができるのは、今しかないのに。

今だけ。
今だけだから。

 

 

 

 

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 最終更新日 2016/01/31

 最終更新日 2016/12/25