今日やるべき仕事を片付けて、飲み終わった缶コーヒーを捨てに行ったら、浅井先輩が自販機でコーヒーを買っていた。

「まだかかりそうですか?」

声をかけると、疲れた顔をした浅井先輩が振りかえった。
「バヤシ‥‥。あー、もう切り上げてもいいんだけど‥‥。」
「疲れた顔をしてますよ。今日はゆっくり休んだらどうですか?明日ならわたしもお手伝いできますし、尾上主任も出勤されますよ。」
このまま効率が下がった状態で続けるよりも、休んで明日やったほうがいいような気がする。
浅井先輩は限界まで頑張ってしまいがちで、以前疲れ過ぎて普段ならありえないミスをしたことがあるので、休むことを提案してみた。
なにより、明日は新婚旅行明けの尾上主任が出勤する。
いま浅井先輩が取り組んでいることは、もともと尾上主任が手掛けていたことなので、彼が出勤すれば一気に仕事が進むだろう。

ふと、新入社員の谷ちゃんが、同期の女の子に「今日は飲み会。」と言っていたのを思い出した。
「谷ちゃんとはどうですか?」
浅井先輩は顔を曇らせた。
「うーん、あんまり、かな。」
「ケンカですか?」
「ケンカというか‥‥。」
浅井先輩の言葉は歯切れが悪い。
踏み込まれたくないのかと思いきや、なんだか聞いてほしそうな顔をしている。
「彼女、新入社員だから、けっこう飲み会が多くって。まぁ、分かってはいるんだけどね。就職でこっちに来たから友達作りたいだろうし、それに最初はいろいろな飲み会に出て社内に顔を売っておいたほうがいいんだろうし。でもね、それが4対4の飲み会だってなると‥‥。」
「あー‥‥なんとなく想像付きます。井上さんですか。」
井上先輩はわたしの2年上の女性社員で「人脈は大事よ。」と言って飲み会やパーティーに後輩を誘い出すのだ。
その後輩に彼氏がいようがお構いなしで「こうした付き合いを彼女に禁止する男なんて器が小さいのよ。」と公言している。
入社当時は知り合いを作りたいのでありがたい存在だが、少々押しが強いのが難点だ。
「まあ、新入社員だと、先輩の誘いを断るのは大変かもしれないです。」
「バヤシも先週、井上さんの飲み会に誘われてなかった?」
「あー、わたしは、なんだかんだ、毎日松本さんと会ってるので、予定があるって言って断っちゃってます。」

少し、変な間が空いた。

「そう‥‥松本とはどうなの?」
「実は、わたしもケンカしちゃったんです。昨日。松本さんて、なんでも思い通りにしちゃうところがありませんか?」
いくら好きな相手でも、会いたくないときがある。
それはたいてい生理のときで、イライラしているから言いたくもない愚痴を言ってしまうし、体調が悪くてテンションが上がらない。
そんなふうになるくらいなら、会うのを後日にしたほうがいいと思うのだ。

それなのに、会うのを断ろうとすると「近くまで来てるから、少しだけ。」と言って、強引に会おうとする。
昨日もそれで「わたしのことぜんぜん考えてくれてない!」と怒って松本さんを部屋から追い出したのだ。
生理でイライラしていたとはいえ、少し反省している。

「今日は切りをつけようかな。ねえ、こんなところで長く話してるのもなんだし、この後ごはんでも‥‥。」
ブブ、とわたしのスマホが震えた。
「すみません。」と断ってからメールを見ると、そこには松本さんの名前が。
思わず、顔がほころんだ。
「松本?」
浅井先輩にも、ばればれだったらしい。
「はい‥‥。もう!また、松本さんったら。今日、車で来てるから送ってくですって。そういうのは、朝から言ってほしいですよね。わたしに予定があったらどうするつもりなんですかね!あ、すみません、浅井さん、さっきなにか言いかけてましたよね?」
怒ったふりでごまかしたが、声が弾んでいたのは隠せなかった。
「あ、ううん。なんでもない。ほら、松本、待たせるとうるさいから。行っておいで。」
「すみません、お先に失礼します。」


* * * * *

足取り軽く去っていくバヤシの背中を見詰めていたら、全身にどっと疲れを感じた。
廊下を曲がった先から「あ、松本さん!」という彼女の声が聞こえてきた。
この時間だと残っている社員は少ないので、本人はそれほど大きな声を出していなくても、よく響く。
続いてぼそぼそと低い声が聞こえる。
松本の声は低いので、言っている内容までは分からない。
どうやら、松本がうちの部署まで迎えに来たようだ。
「もー、わたしが昨日なんで怒ったのか、本当に分かってる?」
甘えたように怒る声が廊下に響いてきた。

なんとなく出て行きづらくて、声が聞こえなくなるまでその場を動かなかった。

「‥‥もう帰ろ。」

ぽつんと呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

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 最終更新日 2016/01/31

 最終更新日 2016/12/25